僕がまだ新卒で最初の会社に入って2年目だった頃。
何も仕事の出来ない(いまだに)&やる気の全然ない(いまでも)僕のOJTに(運悪く)ついた、Mという先輩がいた。
1988年式 ルノー エクスプレス GTL

フロントビュー
M先輩はちょっと掴み所のない、変わった人だった。いつも一人でいた。誰かとつるんで昼飯を食いに行ったりすることは全く無かった。一人でタバコを吸いに中庭の喫煙スペースに行っては、一人しゃがんでマルボロを吸っていた。
孤高というか孤独というか、かといって、寂しそうなそぶりも全く見せなかった。自分のペースを持っていてそうで、何を考えてるか分からなくて、ちょっと話しかけづらく、そう簡単に人と接点を持とうとしなかった。
M先輩が、誰かとワイワイと騒いでいる所を見たことがなかった。
そんなM先輩は僕のOJTだったが、やはり放置された。正直、面倒見は良くなかった。そういうのは得意じゃないようだった。
「兄貴って感じで情熱的で、何にでも全力投球!」みたいなタイプとは対極で、クールでマイぺースで謎めいていた。
そんなM先輩となかなか打ち解けることは無かったのだけど、僕が何かで失敗したかヘマしたか何かの時にメールが来て、「まあ、今はそんなのでも、仕事はそのうち分かるようになるから。」みたいな事が書いてあって、いわゆる説教でも激励でも無いM先輩らしい無感情なテキストが、妙に心に刻まれた。

フロントビュー
M先輩のデスクもちょっとおかしかった。とにかく謎の雑貨が多かった。だいたいそういう人はどういう物が置いてあるかで、人となりが分かったりするものだが、M先輩のはよく分からなかった。
自分用の本棚があって、そこには、ナショナルジオグラフィックが200冊くらい並べてあった。そんな雑誌は仕事と当然全く関係がない。ナショナルジオグラフィックといえば、動物やアマゾンや地球や宇宙の写真がひたすら掲載されているネイチャーでサイエンスな雑誌である。家から持ってきたのか、会社宛に定期購読してたのか、その黄色い背表紙はとにかく大量に並べてあった。
他、何かしらのフィギュア…といってもオタク色は全く無くリアルな動物だったり、何か車のダイキャストモデル、バイクのヘルメットから、何やらよく分からないものがあふれていた。
ある日、M先輩が僕に、「バナナを食べないか?」と聞いてきた。
「バナナですか?」と聞くと、何やら特別なバナナらしい。そんじょそこらのバナナではないということを、細かく説明された。高いらしい。何だかよく分からない説明を受けてバナナを食べたが、普通の味だった。きつねにつままれた気がした。
M先輩はほとんど残業らしいことをしなかった。そこはダラダラとした社風で、どれだけでも出る残業代にかまけて、意味のない残業をしている社員の多い中、定時が来たらM先輩はそそくさと自転車で帰っていった。

リアビュー
バナナ以降、いつしかM先輩と仲良くなっていた。
M先輩がどういう人なのか気になり、色々と話をするようになった。
一人旅が大好きで、それも海外の、チベットの山奥に定期的に行っていると知った。チベットがいかに良い所かを説明された。トイレに仕切りがないだの、水が飲めないだの、散々な話ばかりだったので、当然ピンと来なかった。そもそもチベットがどこにあるかも当時は知らなかった。
「これ、貸してあげる」と、ナショナルジオグラフィックのチベット特集の号を手渡され、家に持ち帰って読んだが、それでもやっぱりよく分からなかった。あの先輩は、いったいこの場所の何が良くて行くのだろうか?
またあるときは「出雲大社に行く」と言って、会社を2〜3日休んだりしていた。なぜまたそこに?と聞いたら、「俺ももういい年だから」と言った。
出雲大社が縁結びの神様だと分かったのは、後で調べてのことだった。
ダイナミックに有給を使い倒し、1ヶ月まるまる休んでみたりして常に様々な場所を放浪する人で、あるときは放浪中にM先輩の実家の母親からM先輩に電話が長期間通じないから、母親が会社に電話をしてきて、「Mはどこ行ってるんだ!?」と大騒ぎになったこともあったらしい。
あまり、というかほとんど、仕事の話はしなかった。OJTなのに。前述の「そのうち分かるよ」メールくらいしか、仕事の話をしたことがなかった。

コックピット
M先輩は車も好きだと言っていた。
何に乗ってるんですか?と聞いたら、外車だという。外車にも色々ある。
外車の何?と聞いたら、「ルノーのトラックだよ」と教えてくれた。もう、全然分からない。
当時の僕は、車のことは日本車しか知らなくて、まだ車を持ってなかったということもあり、「ルノー」のそして「トラック」という、得体の知れない組み合わせが、この人の分からなさに拍車を掛けた。
そんなある日、M先輩に「温泉に行かないか」と誘われた。
M先輩からプライベートの遊びに誘われるなんて、この会社では僕くらいのものだろう、と思った。それなりにサブカルだった僕を、面白がってくれていた部分もあったのかも知れない。温泉は、M先輩の友人の会社の保養所で、タダで宿泊できるホテルで、そこに温泉があるからそこに泊まらないか、ということだった。場所は湯河原。行きます、とあまり考えずに返事をした。
行きは電車で行き、湯河原駅からそのホテルまではM先輩の友人の車で送ってもらったのを覚えている。
保養所は味気ないマンションみたいで、近くのコンビニで買ったビールやおつまみを畳の部屋に持ち寄って、M先輩以外は初めて会う人達と5人くらいで、飲んだりした。何を喋ったかは覚えていないが、会社で静かにしているM先輩とは違い、よく笑っていた。結構色々とからかわれたような気もするし、小ネタでウケを狙おうとつまらない事ばかり喋っていたような気もする。

コックピット
次の日、帰りは最寄りの駅まで、M先輩の車に載せてもらうことになった。
噂の「ルノー」の「トラック」である。
想像とは随分違った。外車というから、もっと格好良くて、シュッとしてるのかな?と思っていたが、正直ダサいと思った。そしてボロボロだった。色は剥げ、各所にエクボ傷のようなものもあった。
外車というのは、BMWやベンツのように、金持ちの乗る乗り物ではないのか?とずっと思っていた。外車に乗ったら勝ち組であり、金持ちの乗り物であると。そして外車というのはセダンであると。
なのにこれは何だ。日本車よりもダサいじゃないか。
「まあ、乗れ」
左ハンドルのそのトラックの、右側のドアの助手席に乗った。後ろの席は取っ払ってあり、二人乗りになっていた。
パワーウインドウなど当然付いていないそのトラックの窓のハンドルをくるくると回して窓を開け、M先輩の友人二人に手を振って分かれ、そのトラックは真鶴のくねくねとした山道(有料道路をけちって遠回り)を結構な速度で飛ばした。
M先輩は巧みにマニュアルのシフトをガコガコと動かし、クラッチを蹴飛ばし、そのボロボロのトラックをアクティブに乗りこなしていた。あちこちからギシギシと音がする。エアコンは無い。うるさいし、乗り心地も最悪だ。でもM先輩に似合っていた。決して格好よくはないし見栄を張ろうともしない、そもそも分かってもらいたくもない。
でも、積極的に選ばないと乗れない車だな、ということは分かった。走ってる所をまず見ない。こういう車なら日産のADワゴンでいいじゃないかよ。
M先輩がなぜこの車を選んだのかは最後まで分からなかった。

サイドビュー
M先輩とはその後少し仕事をした後、自分が異動になり、会うことはなくなった。
転職をしてから一度、会社の近くのドトールで会った程度だ。
その後何年かしてから結婚したと人づてに聞いたので、電話をしてみた。もう都心に引っ越して、あのトラックは売っぱらってしまったと聞いた。
出雲大社は伊達では無かったのだ。
それからずっと何年もM先輩とは会ってないし、喋ってもいない。今頃、パパになっているのかも知れない。
それから僕が、車の趣味にのめり込んで行った頃、あの時M先輩に乗せてもらったトラックは「ルノー・エクスプレス」という車種だと分かった。ルノーの名車「5」(サンク)の後継である「シュペール」のトラック版であった。フランスの、何てことのない商用のバンである。
今思えばそれが僕の初めての「フランス車体験」だった。
その時の印象として、まず「外車」に対する考え方がガラリと変わった。外車でも色々あるのだと知った(当たり前だが)。
フランス車に乗る人というのは何を考えてるんだろう?と興味を持った。
BMWやベンツの高級クラスだったら、ある程度事業などで成功した人だったりが、プレミアムな車を求めて乗る、ということで分かりやすい。何千万もする車種だってある。サクセスの印としての車という側面もあろう。
しかしフランス車は違った。
M先輩のボッコボコのルノー・エクスプレス体験から今に至るまで、様々なフランス車に触れる機会があったが、総じて言えるのは、フランス車は決して威張らないな、ということだった。BMWやベンツやアウディに見られるように、庶民が買えないような高い価格の車種が、フランス3大メーカーであるルノー、プジョー、シトロエンにはそもそも存在しないのだ。
あくまでも「庶民の足」の中に遊び心があり、デザインでちょっと変わった事したがるのがフランス車のイメージである。サイズも大きくない。日本人から見ると、取っつきやすい部分が意外と多いと思う。
おっと、全然ルノー・エクスプレスの事を書いてないが、まあ、良いだろう。今さら好きこのんで指名買いするような車種ではない。
そして今自分は、4台目の愛車としてシトロエン DS3という車に乗っているが、この車にたどり着くきっかけの1割くらいは、M先輩にあるかも知れない。
自由に生きていたM先輩の、よく分からないけどマイペースで何にも似てないあの感じと、「そのうち分かるよ」という言葉が何となく分かってきた気がする最近。ルノー・エクスプレスに乗っていた事も、なんとなく分かるような気がする。
僕も今、あの時のM先輩のように思われているかも知れない。「この人は掴みどころがないな」と。
なんてな!
あ、フランス車にたどり着いた残りの9割は、「もう一人のM先輩」の影響です。

もう一人のM先輩と筆者 2011年東京モーターショー会場にて
さて。永らく続いてきましたこの「たまらん中古車」ですが、今回でいったん連載は終わりです。
今までありがとうございました。
そしてリニューアルを行い、新コーナーとしてまたピコカルに帰ってきますので、その時までごきげんよう!
ルノー ルノー エクスプレス GTL | 中古車 輸入車 GooWORLD(グーワールド) | 【春日中古車センター】
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※当ページ内の内容は2012年6月19日現在の情報です。
RENAULT JAPON | Official Web Site
シトローエンには憧れましたが、結局買えませんでした。現在ディアスワゴンで結構満足しています。パワーはありませんが使い勝手が良いのと、小回りが利くのでほんとに重宝しています。お寺さんをお迎えに行くときも、大きな椅子や、鐘も一度に積み込めて重宝しているのです。道路の狭い集落の中を、ミラーすれすれで動き回れるのは少し快感とスリルがあります。